パスカルの症例
ウルム大学付属病院所属のエリー・キルヒナー看護師とハイディ・バウダーミスバッハ女史がまとめたVAT®の症例をご紹介いたします。患者さんは、HLHと診断された15歳のパスカルです。
2011年当時から時間が経っていますが、VAT®をもう少し詳しく知っていただきたく、またセルフコントロール・アセスメントのための評価チャートMOTPA(VAP/教科書のモジュール3参照)を臨床で生かした具体例として、掲載することにいたしました。
尚、ハイディ・バウダー・ミスバッハ女史の了解を得て、原文からの一部抜粋です。
Viv-Arte®トレーニングプログラム(VAT®)を応用した早期介入
ウルム大学病院小児科クリニック 血液・腫瘍病棟の症例
“プロフェッショナルなケアは、要介護状態の回避にどのような影響を及ぼしうるか?”
はじめに
ドイツには、通常診療提供病院と最大診療提供病院の区分がある。大学病院はほとんどが最大診療提供病院であり、先端医療を提供する(Tecklenburg 2010)。大学病院は、先端医療、ハイテク医療、学問、革新的開発のためのセンターであり、このアプローチにおいて看護ケアはむしろ従属的な役割を果たしている。患者やその家族がこれら先端医療の中核施設を訪れると、通常、複雑で難解な診断に直面する。彼らは完全に回復することを期待してこれらの施設に足を運ぶ。誰もが、ケアに依存するようにはなりたくないと思っている。
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ケアの専門性を欠いても、先端医療を実施し成果をあげることはできるか?
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ケア・アセスメントから、必要な行為だけでなく、目的に適った介入を導き出せないものか?
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集中治療において早期介入し、ケア・介護への依存を回避あるいは軽減できないか?
患者と診断
パスカルは15歳、彼と母親がたどってきた人生のこれまでの日々には心を打たれる。2008年2月、パスカルの健康問題は、頭痛にまつわるさまざまな話、運動失調様の歩様、曖昧な言葉遣い、過眠傾向によって始まる。2008年8月には不快症状がさらに増えていく。複数のクリニックで実施されたさまざまな治療(何よりもコルチゾンの高用量投与)からは、期待した効果は得られず。パスカルは情緒不安定になり、躁と鬱を周期的に繰り返す。水頭症も発症し、EVD治療を受ける。
2010年5月には敗血症性の発熱、血液像の変化、リンパ節に著しい腫れが見られる。
2010年7月、血球貪食細胞性リンパ組織球症(HLH)と診断される。
パスカルは、ウルム大学病院小児科クリニックに入院する。
最初はデキサメタゾン、免疫グロブリン、シクロスポリンで治療が行われる。
2010年12月、幹細胞移植施行。GVHD、感染症、粘膜出血、痙縮、神経障害、器質性精神症候群など多くの併存疾患のため、パスカルはさらに衰弱する。
写真1:2010年11月30日
最先端医療で可能な限りの診断、治療、ケアが提供されたことは、二人のその後の運命を左右し重要であった。
複合治療はパスカルの身体、精神、社会面に深刻な影響を及ぼし、日々のケア介入は困難を極めた。
写真2:2011年12月21日
毎日の体重測定といった重要な臨床パラメータの取得には強い痛みが伴い、医療および看護にかかる負荷は高くならざるを得なかった。疼痛の原因は主として既往症と薬物治療に起因する重度の神経障害であり、パスカルは激痛で身体を動かすことができず、また動かされたがらず、本人も母親も絶望していた:
*... "化学療法と幹細胞移植を終えたある時点で、パスカルはもはやケアできない状態でした。何週間も続いた寝たきりの状態と化学療法の強い副作用のため、どんな小さな動き(スプーンを持つ、片手を動かすなど)さえできなくなっていました。激しい神経性疼痛、そして腕や脚の腱の短縮に苦しんでいました。足や足指にシーツが触れるだけでも激痛が走るようになりました。かなり前から、理学療法は許容しなくなっていました」...。
* ターニヤ・エールハフ(Tanja Oelhaf)、 パスカルの母
この先、どうすればよいのか? 看護チームは、VAT®の責任者であるエリー・キルヒナー(Elli Kirchner)に最初のカウンセリングを依頼する。
VIV-ARTE®トレーニング・コンセプト(VAT®) ― 早期介入のためのコンセプト
Move People – Give Perspectives。このスローガンは、重い疾患をもつ人の動きの維持・改善を目指すことを表現している。
重い疾患をもつ一人一人に合わせた動きの維持・改善は、開始時に細部にわたって行われる評価(Viv-Arte®動きの診断)に基づいて実施される。
機能低下(日常生活動作でみられるセルフコントロール低下のレベル)およびセルフコントロールに影響を及ぼしているすべての条件要素が評価される。その結果に基づき、クライアントの現在の主要問題に応じて、その個人に必要な対策が導き出されることになる。VAT®による動きの維持・改善は、それを目的とする介入として日常ケアとは別枠で行われ、専門教育をうけた看護師が実施する。VAT®の構成は、
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マニュアル・セラピー:対象の身体領域のすべての関節を統合しながら受動的に動かし、マッサージで補完する。凝りをほぐし、筋トーヌスを活性化し、身体意識を刺激する。1回のセッションは45~60分。
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体操:姿勢と柔軟性をバランスよくトレーニングすることは、良好な協調運動、筋張力の改善や代謝を促すための基本である。
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機能トレーニング:クライエントが身体のコントロールや機能を再学習できるよう、体系的にサポートする。機能トレーニングの対象者は、日常生活動作をすでに補助具や介助者に依存しているクライエントになる。
この革新的プログラムは、化学療法の副作用として頻繁にみられる多発神経障害(PNP)の症状を治療するために、ウルムの大学病院においてViv-Arte®によって開発された。基本となるViv-Arte®学習モデルは、可動性に制限のあるケース別に動きを維持・改善するための行為と戦略を策定するためのツールである。動きの維持・改善は、クライエントと介助者とが継続的に相互学習するプロセスとして設計されている。
機能面からみた可動性の推移は、各条件要素の変化およびそこから導き出される対策によって視覚化され、再現可能である。看護と医学との実効性のともなう学際的協力、また骨髄移植病棟とその後のフォローアップ病棟のそれぞれでVAT®看護師がパスカルと母親と一緒に動きの維持・改善について学習していくというプロセスが功を奏して、パスカルは機能面の可動性を部分的に回復し、QOLを取り戻し、母親はあらためて希望を持てるまでになった。
ドイツのホセ・カレーラス白血病財団の助成を受けた研究(2010年~2013年)によって、QOL、移動性、参加およびセルフケアの各スキルについて、本プログラムの有効性がウルム大学病院において検証されている。
このプログラムに参加するクライエントは、動きの維持・改善だけでなく、クライエントと介助者と家族との相互学習プロセスの同時双方向的インタラクションからも恩恵を得ることになる。VAT®の各セッションではクライアントや家族と話し合う機会も多く、信頼関係の構築につながっている。
既存の機能障害がある場合、VAT®は、VIV-ARTE®ケアコンセプト(VAP)によって補完される。VIV-ARTE®ケアコンセプト(VAP)を用いた対策は日常の看護介入に組み込まれ、資格を有するVAP看護師、または特定のケースに応じて特別指導を受けた看護師および家族介助者によって行われる。
2011年1月20日 VAT®介入開始時の記録
パスカルを苦しめているのは、治療に伴うさまざまな作用と合併症である。体位・姿勢変換をほとんど許容せず、ケアすることはほぼ不可能に近い。恐怖心や言葉にできないほどの疼痛があり、ますます引きこもりつつある。拘縮の発症がみられ、皮膚にもさまざまな問題(乾燥、極端に外旋した足肢位によるくるぶしの発赤)が生じつつある。
写真3:2011年1月5日
写真4:2011年1月14日
小児科クリニックの骨髄移植(KMT)病棟所属の看護師フロリアンは、ウルム大学病院のVAT®責任者エリー・キルヒナーの支援を要請する。
2011年1月20日、
エリー・キルヒナーの初回訪問
VAT®看護師は、初回訪問時にクライエントとその家族、看護師、担当医、理学療法士と現在の状況や問題点に関する話し合いをもつ。
クライアントとその家族の視点からの問題点の説明に重点がおかれる。初めてのマニュアル・セラピー・セッションを行った後、続けて各体位および個別の体位変換ごとにセルフコントロールのレベルをテストし、またセルフコントロールに制限がみられる場合には、主たる条件要素を確認する。
2011年1月20日、エリーはパスカルを初めて訪問する。機能範囲および影響している条件要素のアセスメントの実施(表5)は非常に困難であった。鎮痛剤を服用しているにもかかわらず触覚痛があまりに強く、マニュアル・セラピーはかなり限定的にしか実施できない。母親のターニヤが、忍耐強く繰り返し、痛みからパスカルの気をそらそうとしてサポートする。パスカルの主要問題は重度のニューロパチーと推察する。大きな動きになると痙縮が起こる。医学的には、疼痛治療、リリカ、抗うつ剤による治療が行われている。その結果生じた疼痛、知覚障害、コルチゾン・ミオパチーおよび頻繁な発熱の発作によってパスカルは全身が衰弱し、もはや動くことができず、ほとんど動かすこともできない。
唯一実施できる体位変換は、ベッド上の上方移動だけである。2〜3人の看護師が全介助でサポートしなければならず、非常に長い時間を要する。初めてのコンサルティング の最後に見えた一筋の光:体位保持用品を減らしても、パスカルはよりフラットな仰臥位を許容するようになっている。
問題は山積していても、パスカルとターニヤは、今後、相談相手がほぼ毎日そばにいてくれると知って喜ぶ。パスカルが移動性を取り戻すことは容易ではなく、関係者全員の多くの力と勇気と忍耐が必要となることは誰もが認識している。
病棟の看護スタッフと医療チームは、パスカルに今後定期的なサポートが入ることを喜んでいる。
エリーは初回の診断表を作成し、目標として様々な臥位を取らせることと痙縮を薬の使用で抑えることした上で、一週間目の進め方をを計画した。
VAT®の枠組みに従って、ジピドールの事前投与後、エリーは毎日40分のマニュアル・セラピーを行うことになる。また、1週間目の機能トレーニングは、ベッド上の上方移動、回転して側臥位になる、フラットな仰臥位になることに限定した。
経過:
鎮痛剤を先行投与しても、日々のマニュアル・セラピーの実施は難しい。パスカルの気を何度も紛らわさなければならない。ターニヤはできる限りサポートしてくれている。
パスカルからは、体位交換のときに実施する受動的な運動生理学に基づく自然な動きには、さしたる熱意が見られない。少しの説得と気をそらすことで、気を取り直しては頑張ってくれる。
一日中パスカルと過ごしているターニヤと病棟の看護師たちは、二人一組でパスカルを歩行様移動で受動的にベッド上を上方移動させる方法を教わる。
このようにして、24時間の間に頻繁に必要となる一連の動きの流れが部分的動きとさらに組み合わされて、身体意識、代謝、関節や筋肉に有益なものとして実施される。
対策は功を奏し、1週間後、パスカルは仰臥位でフラットに寝られるようになり、膝関節と足関節に少しサポートを必要とするだけになる。
彼のお気に入りの就寝時体位は右側臥位、すでに1時間許容できる。
側臥位への回転運動、ベッド上の上方移動、マニュアル・セラピーには、まだ強い痛みが伴う。触覚過敏はやや軽減されてきている。フラットな仰臥位は十分許容する。
点数
40
6
5
5
6
6
6
6
2011年1月20日 人の機能
2011年1月20日 各体位にとどまれる時間
フラットな仰臥位 不可
右側臥位3 分
左側臥位3 分
腹臥位 不可
車いす座位 不可
自力端座位 不可
立位不可
2011年1月20日 体位のセルフコントロール
側臥位にとどまる 介助者の全介助
両肘で支える腹臥位 介助者の全介助
車いす座位 介助者の全介助
端座位 介助者の全介助
立位 介助者の全介助
30